封筒から感じる親の愛情

自分の親から手紙を受け取ったことがありますか?
届いたその手紙の封筒に書かれた、自分の名前。
親が書いた自分の名前を改めてみると、なんだか不思議な感覚に陥ったりしますよね。
それが、一人暮らしなどで親元から遠く離れているとなおさらです。
パソコンなどの普及に伴い、最近では人の字を見る機会さえ減ってしまいました。
そんな時代だからこそ手書きの手紙というものは、それだけでどこか尊く、大切なもののように感じるのです。
その手書きの手紙が親からだったりすると、尊い気持ちはますます増し、どこか切ない気持ちさえ感じてしまいます。
手紙を手にした瞬間に、その字から、その封筒から、親の愛情がひしひしと伝わってくるような気がするのです。

封筒の封を切れば、今度はそこから実家の香りが漂うような気がしてきます。
そしてなぜか、自然と気持ちまでが落ち着いてくるのです。
手紙に目を通せば、手紙の主である母であったり、父であったり、すぐそばで話しかけられているような錯覚に陥ります。
そして、その手紙の封筒からは、手紙をしたためた親の状況も伝わってきたりするのです。
バタバタと急いで宛てた手紙だと、どこから引っ張り出してきたのかわからないような古びた封筒。
逆に少し時間や気持ちに余裕を持って書いた手紙だと、書斎の奥から準備してきたような、よそゆきのちょっとこじゃれた封筒。
近くに住む孫と、じゃれあいながら書いたであろう手紙だと、子供仕様のかわいらしい封筒。
送られてきた封筒から、手紙をくれた親の状況がなんとなくわかるのです。
中身の便箋は決まって同じノートの切れ端なのに、なぜか封筒だけは毎回毎回違うのです。
手紙を受け取る時は、その封筒から親の状況を想像する楽しみもありました。
そして、親の状況を想像する判断材料が、封筒の種類以外にもう1つありました。
時としてその手紙の封筒には、いろんな物がおまけのようについてくるのです。
いろんな物とは、お茶のシミだったり、よくわからない食品のシミだったり、封をする時に使った糊の余りだったり。
封筒のどこかに、よくそんなシミや汚れがついていました。
本人にそんな汚れやシミがついた理由を聞かずとも、その状況が想像できることがおかしくもありました。
お茶を飲みながら書いた手紙、一人暮らしの自分に、荷物に同梱しようとした食品がうっかりついてしまった手紙。
そんなシミ1つからも親の状況が想像できたものです。

そして、私が親から受け取る手紙には決定的に、他人から受け取る手紙とは違うことがありました。
手紙の裏面の、差出人住所を書いた横に、必ず一言メッセージが書いてあるのです。
封筒なのに、書いてあるのです。
誰が目にしてもおかしくないのにです。
その言葉は、「がんばれ」だったり、「いつ帰ってくる?」だったり、「風邪ひかないように!」だったり。
なぜか封筒に、必ずたった一言書いてあるのです。
どうして、中の便箋に書かないんだろうと思いつつも、本人にその真意を尋ねたことは1度もありませんでした。
そのわけが自分なりに想像できたからです。
便箋に手紙をしたため、封をした後で、きっともう1度、子供である自分のことを思い出してくれるのです。
だからこそ封筒なのに、人に見られるのに、それでも添えてしまう一言。
その一言をどうしても伝えたいというそんな親の愛情を思うと、胸を締め付けられるような気がしていました。
中の便箋に書かれた手紙よりも、心打たれたものかもしれません。
表面だと目立つから、せめて裏面に書こうという、その単純な判断さえなんだか切なく、愛おしくも感じていました。
その感覚がいまだに忘れられず、親のメッセージも脳裏に焼き付いています。
だからこそ、誰かから手書きの手紙などを受け取ると、その封筒を見ただけであの頃の親からのメッセージを鮮明に思い出します。

自分にとって封筒とは、親からの愛情をたくさん思い出す大事な存在のものです。
最近では、自分自身でも誰かに手紙を宛てることなど、ほとんどなくなってしまいました。
そんな状態なので、封筒そのものに触れる機会も、目にする機会も減ってしまいました。
だからこそ、たまに手紙用の封筒を見ると、強烈にそんな思い出が蘇るのです。
親からのそんな手紙を、一人暮らしをしている間は幾度となく受け取りました。
その受け取った手紙の分だけ、親からの愛情を受け取ったような気がしています。
もちろん、今でも大事にそれらの手紙はとってあります。
封筒から感じ取れる親の愛情。
自分もいつか、自分の子供にそんな感情を抱かせるような手紙を、素敵な封筒にしたためる日がくればいいなと願ってやみません。